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太田母斑 [nevus of Ota]

青褐色ないしは灰褐色の色素斑で、おもに眼瞼(がんけん)部、頬骨部、側額部など、三叉神経*第一枝あるいは第二枝の支配領域に生じるもの.1938年太田正雄によって初めて報告されたため、この名がつく.眼上顎褐青色母斑(がんじょうがくかっせいしょくぼはん)ともいう.日本人を主とする黄色人種、とくに女子にやや多発する.
片側であることが多いが、5%程度は両側に見られる.皮膚以外にも発生し、眼球メラノージス(眼球色素沈着)は眼球強膜、虹彩、眼底に色素沈着を起こす.そのほか、鼓膜、鼻粘膜、口蓋、咽頭に出る場合もある.多くは出生時から発生するが、思春期前後、まれには妊娠中に発生することもある.発生の原因は、表皮基底層のメラニン沈着と真皮の母斑性メラノサイトの増殖による.色調は褐色系の色素斑と青色系色素斑の2色が混じり合ってできており、その混在の程度は一定ではなく、皮膚の深部位ほど青みがかかった色調を呈する.組織学的な構成細胞は乳幼児に見られる蒙古斑と同じであるが、蒙古斑のメラノサイトは自律性の増殖を起こさず自然に消退するのに対し、太田母斑では生涯、消退は見られない.
治療法としては、雪状炭酸圧抵法、液体窒素を用いる冷凍療法、皮膚移植、レーザー治療などがある.冷凍療法は完全に消えるまでには至らないことが多く、皮膚移植は皮膚色のカラーマッチングなどの点から満足いく結果は得られにくい.最近では、レーザーによる治療を行う医療機関も増えてきているが、これはレーザー光の照射エネルギーにより、真皮メラノサイトを破壊する方法である.3〜6カ月の間隔をあけて数回の治療を行うのが一般的であるが、この治療は痛みが伴いかつ完全な効果が得にくい.
太田母斑は、治療ではないが、メークアップによって目立たないようにすることができる.1928年、リディア・オリリーは自身の痣(あざ)を隠すために液状の化粧料を考案し、市場に出した.カバーマークの前身であり、広く男性にも利用された.最近の化粧品技術の進歩により、さらに自然にカバーする技術が生まれている.これまでは、酸化チタン*を用いたため、カバー力にも限界があり、かつ厚化粧で不自然な仕上がりになりがちであった.酸化チタンより光遮断効果の優れたアルミパウダーと粘着性アクリルポリマーを用いて特殊化粧膜を形成し、また太田母斑を完全にカバーする補色を混ぜ合わせると白くなることを利用したファンデーションの開発が可能となった.これらのファンデーションの開発により、心理的な快適感や人間関係に積極性が出てくるなど、精神的な効果も実証されている.(柴谷順一)

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